スミさん 2000年8月23日
 かれこれ6年ほど前の話になるだろうか。
 当時所沢にある大学に通っていた僕は、名実ともに独り暮らしをしつつ、近くにある寿司屋でアルバイトをしていた。
 理由は簡単、「寿司が好きだから」だ。始めてまもなく、寿司屋で働くことと寿司を食うこととはまるで逆の行為であることに気付き、唯一のモチベイションをいとも簡単に失ってしまった僕は、「俺、何でこんなところで働いてるんだっけ?」などと思いつつ、「お寿司食べられないから辞めたい」というあまりにも恥ずかしい状況に陥ってしまった自分の将来に絶望感を覚えながら、気の遠くなる思いで皿を洗っていたのである。
 本当に寿司が好きなだけで選んでしまったので、「女の子と出会える職場を」という当初の思惑はすっかり狂ってしまい、気が付くと周りにはマスターとママさんとスミさんしかいなかったのである。
 「スミさんがいるじゃないか」
 と君は思うかもしれないね。残念、彼女年上だったんですよ。しかも45歳も。
 このスミさん、「元SKD(松竹歌劇団?)の花形らしい」ということで確かにステキな鼻筋をしておいでだったが、いかんせん腰が悪い。
 「あいたたたたた」なんて言いながら、持ち場を離れたかと思うとそこには大量の食器が…。
 正義感の強い僕は、当時高齢化社会のあり方について勉強していた手前もあり、目の前であからさまに寿命を縮められてはたまらないと、わりと積極的に仕事を引き受けていたものである。皿洗いはおおよそ僕の仕事。スミさんの仕事は主に棚の割り箸を「きちっ」とそろえたり、魔法瓶の周りを「きゅきゅっ」とふいたり。(しかも僕よりも忙しそうに)
 とにかくスミさんは要領がよろしい。だてに歳はとっていないのである。
 ある日の出来事。
 僕が忙しく食器を洗い、スミさんは必要以上に丁寧に手ぬぐいをたたんでいたその時、
 「はいはい、は〜い」と言いながらママさんが、お帰りになったお客さんのテーブルからたくさんの食器を下げてきた。
 そしてたくさんの余ったお寿司も!
 接待で来るお客さんのときなんかにたま〜にあるのだ。
 「二人で食べナ〜」ってママさんが色っぽい声で言い残し、ホールへ。
 滅多にないことなので僕は嬉しくて嬉しくて、しばしお寿司たちをしげしげと物色。
 「いや〜、最高っすね!」
 見上げるとスミさんは食器拭き用のタオルを片手に、すでにお寿司の前に配置完了。
 (ということは僕が食器洗い・・・い?)
 一瞬の出来事だった。なんという離れ業か。
 「ちくしょう、早く洗ってしまわねば!」
 焦る僕を尻目に、スミさんは悠々と皿をふきふきつまみ食い。
 「ガチャガチャ キュッキュ! ジャブジャブジャブ!」 「ふきふき ぱくっ」
 「ガチャガチャ キュッキュ! ジャブジャブジャブ!」 「ふきふき ぱくっ」
 「ガチャガチャ キュッキュ! ジャブジャブジャブ!」 「ふきふき ぱくっ」
 まぐろ、とり貝、えび、たこ、ほたて・・・
 振り向くたびにひとつずつ、めぼしいお寿司から順番に、的確になくなっていくのである。
 結局僕が食器を洗い終わって、ありつけたのは鉄火巻4個。(しかも小さい奴)
 かくて第1回歌川杯寿司争奪戦はスミさん圧勝に終わったのだった。

 「花形だった頃はよくいやがらせにあったものよ。帰ろうとしたらクツがなかったりしてね。」なんて話をよくしてもらった。
 僕は華やかなステージ上を颯爽と舞うしわしわのスミさんを想像しつつ、「こりゃ鍛え抜かれてるな、手ごわいはずだぜ」と、半ば諦めにも似た確信を抱いたのである。
まさお