ひとり上手 2000年8月11日
 とある事情により、突然僕はお通夜のお手伝いをすることになった。
 会社をお昼であがると、うちに帰って喪服(っぽいスーツ)に着替え、僕は上大岡の会場へ向かった。
 当初、僕の役目は受付係と聞いていたのだが、人手不足で急遽道案内役をやることになり、人前に出るのは好きなくせに接客のきらいな僕は内心「ほっ」としながら、プラスチック製のちょうちんを手に、持ち場の駅前横断歩道横に立った。
 与えられた時間は、17時30分から18時30分までの1時間。
 さて、何しよう。
 何をすると言ったところで、ちょうちんを持ってじっと立っているという条件のもとでは、その選択肢は少ない。
 ふと、幼い頃、家族で車に乗っていて、すれ違う車の数を必死で数え続けていた僕に、横から兄キが「3、6、1、4…」とか茶々を入れたがために途中で数が分からなくなって大泣きしたことを思い出した僕は、このチャンスにその屈辱を晴らしてやろう、と思いついた。
 上大岡駅前と言えば、ご存知の方も多いだろうが、そんじょそこらの小さな交差点にもひけをとらないくらいの交通量を誇る上大岡随一の大動脈である。雪辱するに申し分ないステージだ。
 武者震いをかみ締めつつ、背筋を伸ばし、強くまばたきをし、僕は戦闘体制を整えた。
 深呼吸…。
 
「よーい、ドン!…いち・に・さん…しーごーろく!…なな!はっ!く!じゅ!…じゅいじゅにじゅさじゅしじゅご…」
 思った以上にハードなオフェンスにはじめは圧倒されるも、信号が赤になるたびにしばしのインターバルをはさみながら、右から左へ、左から右へと流れる車を僕は次々にさばいていった。
 時に目の前を大きなバスが通り視界がさえぎられれば、その前後のシーンからブラックゾーンの車の数をはじき出し、時に横並びのスクーターババー族がいっぺんに横切れば、「80・81…たす5!」と瞬時に情報を圧縮するというはなれワザでかわす。
 そうこうしているうちに、その数は500を数えた。 かつて夢破れた時には、1,000台を突破したかしなかったかという記憶があったので、この調子でいけば僕は過去の自分を超えることができるのだ。
 そんな希望に胸おどりながら、日暮れにますます増えてゆく車たちを猛烈な勢いで数えていたその時、

「あのー、すいません」

 プチッ! 誰かの声が僕の戦いをさえぎった。

「な・なにしやがる!」
 と思ってふと振り返ると、そこには喪服姿のおばあさんが…。
 「し・しまった…!」
 僕は自分がお通夜の道案内人だったことを思い出した。
 急いで我に返り、「この横断歩道を渡られてまっすぐ歩いていかれますと、緑色のでっかい看板が見えてございまして…」と必要以上に丁寧な説明をしてやった。
 おばあさんを送り出し息をつくと、僕はもうすっかり戦闘意欲を失っていた。
 ふたたび夢破れた僕は、おもむろに時計に目をやる。時は17時42分。
 「12分?それしか経ってないの?」
 と、報われなかった苦労のわりに穏やかな時の流れをうらみつつ、頭の中のカリキュラマシーンは計算をはじめる。
 「12分で500…きりのいいとこ540台として、12で割ると45台、1分45台。すると1分あたりの通過台数は…」
 2ケタを1ケタで割れても1ケタを2ケタで割れない僕はサッと携帯電話を取り出し、アクセサリーの電卓でピッポッパッ。
 「1分当り0.75台!」
 思いのほか気持ちよく割り切れた数字に満足していると、ふと目に交番のホワイトボードが入ってきた。
 ”昨日の交通事故件数〜管内3件”
 「…1日に3人、この上大岡で交通事故にあうということは…8時間に1人とすると、その間に通る車の数は、1分45台に60かけて8かけて…21,600台。ということは21,600人にひとりの運転手が事故をおこすわけだ!」
 夜中はそんなに交通量がないことを片隅に思いながらも、人通りもそれに比例して少なくなるからいいだろう、などとメカニズムもわからないまま勝手に確率を相殺し、僕は考えつづける。
 「それを個人の時間に換算すると、毎日運転したと仮定して、21,600÷365日は…(再び携帯を取り出して)59年間…。すなわち、59年間毎日運転しつづけて1回事故を起こせばいいほうだ、ということか!」
 週に1度くらいしか運転しない僕は、自分が事故を起こす確率が相当低いことを悟り、安堵のため息をもらした。
 「あー、よかった。…しかし何だな、俺はそんな小さな可能性のために毎月8,920円もの自動車保険を払っているってことだ。どうせ当たんないからって宝くじも買わないくせに、21,600分の1の悲劇のためにそんな大金を払うなんて、実にナンセンス!」
 てな感じで、12分間のトラフィックカウンティングは「人間は矛盾する生き物である」というそれなりの哲学を見出してその幕を閉じた。時はちょうど18時であった。

 残酷にも、前の彼女と始めて行った居酒屋のまん前に立たされていた僕は、今度は「恋愛と矛盾」をテーマに、傷つけ傷ついた思い出を、ここには書けないくらい具体的かつ生々しく省みまくり、自責と悔念のあげくに「だから人生おもしろいんだよな」などという何の発展性もない結論にたどりつき、迎えにきた先輩とともに会場に引き返したのであった。
 ともすれば「おまえ、よくそんなつまらないことでヒマをつぶせるな」と言われそうなことを最後まで読んだあなたもエラい。
かずお